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様々な物語で語られる「本物」とは人の意識のことなのか?


3月、4月、5月、も月に1回はいつものメンバで飲んでたんですが、記事にはしてなかったですね。某氏、N先輩、H女史、Y氏以外にS女史も参加して飲んだというのに。まぁ酒の席は今後も定期的にあるので置いておきますか。当記事は、たまにゃhtml書きでもするかと最近考えていることを文字にしてみようと思う。ま~htmlったってblogだと自然言語部分しか書かないんですがね(笑)

つーことで、この2ヶ月くらいの間は何を考えていたかな… 4-6月は、Fate Staynight、やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続、ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか、シドニアの騎士-第九惑星戦役、あたりを追っかけてますが、今やってる前述のものとは別に「電脳コイル」を見たんですよ。

電脳コイル。タイトルは聴いたことあったけど、設定やストーリーは全く知らなかった。デンスケがかわいかった(笑) 全話見てから感想なんかを書いているサイトを少し読んだんですが、評価が結構酷いですね^^; 曰く「設定は凄くいいのにそれ以外が全然駄目」「子供が騒いでいるだけのアニメ」「キャラデザに魅力がない」・・・ああ、何かもう最低の形容が並んでますな。私がぴったりだと思った表現は「攻殻機動隊+ジブリアニメ」。言われてみりゃ確かにその通りだと思った。小学生並みの感想(小並感)だけど、それだッ!って感じw 低評価もわからんではないんですがね~ 私がかわいいと書いた「電脳コイル」に出てくるデンスケも、ぱっと見「なに?この変な生き物。電脳犬?ナニソレおいしいの?」みたいな感じだし(笑) 確かにキャラデザは一般ウケを狙うなら外しちゃってるかも知れない。

でも、先に挙げた4-6月期アニメ4つありますけど、そのどれもが面白いんだけど、どーも一所懸命になれない感覚を感じていたのに反して、電脳コイルは凄く引き込まれた。これが設定とか世界観ってヤツ? 何だろうなぁ。あ、手で触れられる物だけを信じるってトコを拾っている感想があったけど、電脳コイルが1番言いたかったのはソコじゃないよね。その後の「この胸の痛み」の方が言いたいことだよなぁ、どう考えても。この胸の痛み…これはまやかしなんかじゃない。このヤサコのセリフが世界観の中心だと思う。クラウドだのスマホだのが溢れてる2010年代の今、手で触れられる物だけを信じるって表現は惹かれるものはあるだろうけど、そーじゃない。そんな言い古された様なこと言われても笑っちゃう。

同じことを他の作品でも言われている気がした。と、考えた時、ログ・ホライズンのあのシーンが思い出された。

 ウィリアム=マサチューセッツ
 「俺が、俺たちが、それはすごいって思ったらそれは
  すごいんだよ。それが選ぶってことじゃねーか。」
 ウィリアム=マサチューセッツ
 「俺らがすげえって思って俺らが時間をぶっこむって
  決めたら、それは本物なんだよ!」

ああ、これ同じことを言ってるなーと。表現はちょっと違うし、対象としているものも違うんだけど電脳コイルで提起された「本物って何?」という問いに対する答えとして同じものを指している気がする。それは何だろう。手で触れられる物だけが本物なの?→いや、それだけじゃないっていう、わかった様なわからない様なもの。

ここでタイトル回収となるんですが、それは人の意識ではないのだろうか。意識だとか意思だとか心だとかクオリアだとか、観測できないし存在の実証すら出来ていないアレだ。脳科学が更に発達すれば、それが何であるか証明されるのだろうか。人は何だって証明の見込みのないものを考え出せてしまうのかね?(笑) やっぱ好奇心というヤツがそれをさせるのか。私はこの系統のことを考えると幸せだから別に証明されなくてもいいんだけどさwww それと最近のアニメ・漫画だと多いと思うんですが所謂「現実世界」と「仮想世界」の対比がされてます。電脳コイルでもログ・ホライズンでも。電脳コイルでは電脳メガネの世界、ログ・ホライズンではセルデシア亜世界ですか。

更に別の作品を引き合いに出すと、ソードアート・オンラインでも「現実と仮想の差は情報量の大小でしかない」と表現されています。人の意識が知覚するものは現実でも仮想でも、ゼロにはならないにしろ、そのうち差がなくなっていくんだろうなぁ。数学風の表現ならlim x→0ですね。だとすれば、手で触れられる物だけを信じるというセリフは、現実世界でも仮想世界でも体感的には同じことになってしまう。なにしろ仮想世界でも「手で触れられる」わけだから。その前提で考えるなら(いつになったら実現するのかわからんけどw)、そこに於ける差異とは人の意識が外的環境をどう認識するかという点になる。つまり意識やクオリアと言われるものが世界をどう感じるかだけが差異となると思う。これがウィリアム=マサチューセッツさん言うところの「俺らがすげえって思って俺らが時間をぶっこむって決めたら、それは本物なんだよ!」という言葉の意味、正体だと思うのだ。ま、信じるって言葉の示すものって感じですかね?(笑) 差異がないわけじゃない、だけど細けぇことはいいんだよッ!というアレですね。

だいぶ長文を書き連ねてしまいましたが、今宵はここまでに致しとうございます、という感じでしょうか(CV:岸田今日子)。


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2015-05-22(Fri)
 
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いいよ、信心深いヤツには向かねえ仕事だ。俺は夢ぇ盗まれたからな。取り返しに行かにゃ。実際クラッシックだよ、お前ってやつぁ。

(画像は岡部倫太郎
pixiv 式森(B)氏作)


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