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【CD】 音楽CDが売れなくなって久しいですが - 椎名林檎「CDはもうダメ」で波紋

http://news.nicovideo.jp/watch/nw1319278
椎名林檎「CDはもうダメ」で波紋
(ニコニコニュース)



音楽CDが売れないって話は随分前から聴いているが、歌謡曲の存在意義がだいぶ下がってきただろうし(私はCDそれなりに買っていた時期もあったけど歌謡曲じゃなかったし)、生活必需品ではないし、世間一般の方々の収入も上がらないし(上がらないどころか下がっているという記事ばかり目にするし)、そりゃそーだろうとは思うのですが…

学生時代って言葉自体がもう何か年寄り臭くてアレなんですが、高校生/大学生の頃は、フュージョン(死語)やジャズやクラシックで音楽から様々な感動を与えてもらった私としては、音楽業界が衰退しているという内容の話は聴いていて辛いものがあります。感受性豊かな若い頃にいい音楽に出会えない環境じゃ音楽を聴く習慣が出来ないし感動もしない、社会人になって可処分所得が増えても音楽に対してコストをかける訳がない。確かな根拠があって言っている訳じゃないが、やっぱ若い頃、10代~20代前半までですかねえ、くらいに世の中で良いと言われている音楽を聴いて感動する経験がないと何がいいのかもわからないだろうし。ま、何がいいのかは究極的には個人の感じ方なので千差万別としか言えないのですが、これはいいものだ(マ・クベではありませんよw)と言っている人が多いものをそれなりの数聴いていれば何が良いと評価されるのかの基準を体感的に理解できるようになるだろうし、それに従うにしろ従わないにしろ能動的に音楽を聴く下地ができる。その経験をしづらくなっているってのはあるだろうし、残念だなぁと思うわけです。

この記事のコメント、かなりの数集まってますね。まだまだ音楽について思うところのある人が相当数いるという証明であると思います。コメントからいくつかの傾向を拾い上げてみますか。

 AKBは邪道、というか明らかにCD本来の意味をブチ壊した元凶だ。
 林檎様の危機感はアーティストの総意と言える。今更感だが業界
 は新たな市場開拓を必死で模索すべき。座しては駄目だ

AKB商法という言葉まで生み出した握手券付きCD。CD売上という観点でのみ見れば大正義と言える。何しろ数が売れるからだ。まーでも音楽じゃないしね(笑) あ、表現が曖昧かな、音楽を聴きたくてCD買ってるわけじゃないしね、ということ。賛否両論あるだろうが、ここでは本筋ではないとしておきますか。それ以外のパターンは何があるかと見てみると、

 JASRACをなんとかしないと。

これ。正直、私はこのJASRACとかカスラックとかいう関連のコメントの裏にあるものを正確に理解していないので、あまり突っ込めないのですが、JASRACに限らず業界自体の所謂「中抜き」といわれる高コスト体質に関する点と、著作権に絡んで世間一般の人達に音楽を聴かせる場を奪ってしまうという自分の首を絞めている様な点、の2つだと思われます。JASRACの中の人達も後者については悩んでいるんじゃないかなぁ。昔はTVで歌謡曲を流す番組が多かったのですが、今はそうではないので音楽を聴かせる別の場所が必要だろうと思います(ま、私は別に歌謡曲が大好きって訳じゃないし音楽といえばジャズかクラシックを聴いて来たんですが例えとして)。高コスト体質っていうのも高過ぎるのはアレですが、マネタイズは大事ですしね、継続性を持たせる為には。他には何か傾向はないかというと、

 個々人が、この曲好きとか、このアーティストが好きってのは
 あっても、最近は誰が聞いてもこれはいいって感じる曲だったり、
 すごいなと思わせるアーティストが減ってるからな・・・・。

こーゆー系統ですかね。昔はよかった系と言えるかもしれない。アーティスト(笑)なんて表現もみかけますが、最近のやつらはホントに聴く価値のある音楽を生み出していないッ!という内容のコメント。まー私もそういうことを感じない訳ではないのですが、これは経験と年齢の2つの要素が生み出した結果でしょうね。いいとも悪いとも言えないけど事実、みたいな。事実というと語弊があるかな。まずは経験。音楽に触れる経験が少ない世代が増えているでしょうから、音楽そのものに対する評価がそもそも低い人達が増えた、という点。なにしろ生活必需品ではないのでね(笑) 音楽なんて大昔は貴族階級の人間が楽しむもので世間一般ではワークソング(労働歌)くらいだったことでしょう。そして、年齢。音楽とともに生活し生きてきた世代が高齢化して時代に合わせ変化してきた音楽についていけなくなった、また音楽にかぎらず芸術やその他諸々の事柄に感動する感受性を失いつつあって「今の若いモンは」的な目でしか見られなくなっているのではないかという点。いや~私もいい年になったのでコレは本当に実感します(苦笑) 学生の頃は色々な音楽で感動する経験を何度もさせて頂いたのですが、本当に機会が減りましたね。生で聴く場に行っていないのが大きいかな。ま、生で聴くよりCD等を良いオーディオ(これも死語に近い?)で聴くほうが音質が良くていいという人達もいるのは知っていますが、私は自分が楽器演奏もしていたこともあり生演奏、ライブ派ですね(笑)

それに昔はよかった系のことを聴く度に思うのですが、私が小中学生の頃にTVで歌ってた歌手達より、ここ最近のTVで見かける歌手達の方が平均的歌唱能力、技術といってもいいですが、は上なんじゃないかと。ただ、技術が高ければいいのかというとそうでもなくて、プロとしてはレベル低いんじゃないのという程度の技術レベルでも感動を与えることは出来るのです。確かに能力は高いに越したことはない、しかし音楽や芸術の本質はそこではないと思います。

随分と長文を書き連ねてしまいましたが、若い頃に感動を与えてくれた音楽というものは、勿論今でも好きなので、色々と考えてしまいました。やっぱ基本的には若い感受性豊かな頃にいいものをたくさん聴いて、見て、感動する経験をしなければ…私はもうその時代は通り過ぎてしまったので、そういう経験をさせてあげなくてはいけないんだということですかね。そのベースがあって音楽に需要が生まれて音楽で食べていく人達が十分な人数音楽で食べていける環境ができて、その環境があることで更に別の新しい音楽が生まれて次の時代を作っていく、という流れができればいいですけどねー。

 感受性豊かな頃に音楽で感動し憧れる
  ↓
 その中からプロの歌手/プロの演奏者を目指す
 人が出てくる
  ↓
 更にその中の一部が有名になり世の中の人達
 に感動や憧れを与える
  ↓
 世の中で音楽にコストを支払う人が増える
  ↓
 最初に戻る(あとは無限ループ)

ってな感じですか(笑) まぁ、「憧れは理解から最も遠い感情だよ」という言葉もあるのですがwww それは置いておくとして。今ってYouTubeその他インターネットの世界で比較的簡単に音楽を聴ける場があるにも拘わらず、いいものを経験して感動してる人って少ない気がするんですが、なんでですかね。著作権管理団体(別にJASRACである必要はないと思いますが)も余りうるさいことは言わずに問題にならない程度でまずは無償で経験できる場を増やしてあげられる様に動くべきじゃないかなー(著作権を軽んじるわけではないのですが)。時間はかかってもそれがいい方向で発展する為の最初のきっかけになるんじゃないかと考えています。あ、あとパイが減らないように人口が減らないようにしないとね(笑)


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2014-11-15(Sat)
 

【2045年問題】カレー味のうんこ/うんこ味のカレー問題をもう少し考えてみた【人工知能】


前回の記事で「カレー味のうんことうんこ味のカレーだったら、お前はどっちを食べる?」という実に下らない問いをネタにしたのだが、もう少し考えてみてもいいのかもと思い、更にもう1度取り上げてみることにした。

事の発端は「外形的に人工知能の様な人間と人間のような人工知能」から「カレー味のうんことうんこ味のカレー」を連想してしまったことだが、果たしてこれは同じ様なことを指していると言えるのかを考えた。カレー<>うんこの場合では、色調が似ているが通常条件下では間違いなく2者の違いは見分けられる。人工知能と人間でも「現時点では」同じだといえるだろう。チューリングテストをクリアした人工知能があるとはいえ、まぁ現在そこらに人工知能と言われて存在するものでは、そうそう簡単に人と区別がつかない、などということはない。

だがしかし、あと10年後もしくは20年後だったらどうなっているだろう。肉体的(と言っていいのかわからんが)な部分は別として、思考的な部分では言語的なやり取りだけ(文字だけでコミュニケートする)なら、もう区別はつかないレベルに到達している気がする。ただの予想だからなんとも言えないが。そういう時代になったという前提で、「外形的に人工知能の様な人間と人間のような人工知能」と「カレー味のうんことうんこ味のカレー」を比較してみると、同じ様なことを言っているとは思えなくなってくる。

人工知能の開発というか発展の方向性として、人間の振る舞いを人と区別がつかないという方向で模倣することだとしたら、十二分なアルゴリズムと十二分な処理速度と十二分なデータ量があれば、その人工知能と人間を区別することは不可能となる。だとしたら、振る舞い(反応)だけを捉えるのならば、区別できなくなるし区別する必要もなくなってくるのではないだろうか。ああ、なんかちょっと恐ろしくなってきた。

更に、だ。人間でいう肉体の部分、人工知能やロボット/アンドロイドといったものの場合は何と言えばいいのか…筐体?躯体?まぁボディの部分も人間と全く区別がつかないものが出来た時代を想定した場合(これは現時点では相当先の話になる気がしているが)、言語的なやり取りどころかその存在すら人と区別をする事は不可能となる。こうなった場合、「人工知能のような人間」と「人間のような人工知能」は果たして別のものを指しているといえるのだろうか。チューリングテストの判定方法に従うならば同一のものとなるだろう。対象がどのように振る舞うかで判定をし、その判定者は人間であるからだ。人が見て区別できないなら、それは同一ということ。

そうなると「人間と人工知能」は「カレーとうんこ」とは全く異なる比較になる。並べ方が似ているので連想をしてしまった2つの事柄は、実は全く異なるのではないか?という気がしてくると思う。…と、ここまで来て、うわ、結論がないッ!と気づいた(笑) 実に下らない比較をして楽しめたんだから、それでいいじゃないか、ということで終わっておけばいいのでしょうかね('A`)y-~

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2014-11-02(Sun)
 
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いいよ、信心深いヤツには向かねえ仕事だ。俺は夢ぇ盗まれたからな。取り返しに行かにゃ。実際クラッシックだよ、お前ってやつぁ。

(画像は岡部倫太郎
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